スピリチュアルの歴史

スピリチュアルという言葉は今でこそ一般に浸透し、大きな本屋では精神世界コーナー、というものがあります。

が、2000年以前はスピリチュアル、という言葉はまだ一般的ではなく、精神世界、という言葉でマニアの間にひそかに使われたり、オカルト的な感じで扱われることが多かったように思います。

スピリチュアルという言葉が広まったのは2000年代はじめにテレビで放送されたオーラの泉、という番組がきっかけでした。

このあたりの変遷については自分自身も肌で感じてきてます。

僕自身の経験、そしてウイキペディアの情報も加えながら以下にまとめてみました。

興味のある方はご覧ください。

スピリチュアル初期(1960年代~1980年代)

スピリチュアルの源流についてウイキペディアで調べてみました。

元々spiritualityは、religiousness(信心深さによる敬虔な行為)などと同じ意味で使われていた[6]。霊性、霊的といった、宗教性と重なり合いつつも異なる意味での使用は、ヘレナ・P・ブラヴァツキーらの神智学協会を源流として、1960年代に米国で始まった対抗文化の流れを汲むニューエイジ運動に起源があるとされる[10][23]引用:スピリチュアリティ – Wikipedia

ニューエイジというのは、〔中略〕一般的に、19世紀の心霊主義、ニューソート、神智学の伝統から派生したもの[6]、グノーシス主義、ロマン主義、神智学が現代的に再編されたものであるとみなされている。〔中略〕

ニューエイジは、まずアメリカで発展し、イギリスでも同様に隆盛した[12]。ヨーロッパ大陸やオーストラリア、ニュージーランドでも両国に次ぐ盛り上がりを見せた[13]。日本をはじめとする東アジア地域にも影響が大きく、特に韓国とフィリピンで盛んである[14]。日本では精神世界の名で広まり[15]、その後「スピリチュアル」と呼ばれるものにほぼ受けつがれた。

引用:ニューエイジ – Wikipedia

スピリチュアルの源流は1960年代、1970年代頃にアメリカで始まったニューエイジ運動、同時期にイギリスでも始まった独自のスピリチュアル運動、が源流のようです。

その当時、ベトナム戦争に対する反戦運動、米ソ冷戦といった不安定な時代でした。

物質中心の価値観や既存の古い宗教的価値観を捨てて、新しい精神的な思想を追求する流れが活発化した時代でした。この思想を実際に追求しようとしたのがアメリカでヒッピー、と呼ばれる人達でした。

アメリカやイギリスではじまったスピリチュアルが日本に入ってきて精神世界となり、その後のスピリチュアルブームに引き継がれていきました。

スピリチュアル初期の時代に活躍された有名な思想家として、

Osho、ラム・ダス、シャーリーマクレーン、サイババ等がいます。

僕自身もかなり影響をうけました。

偉大な思想家については、独断で、

スピリチュアルのベースを作った偉大な思想家10選

という章にまとめたのでそちらもご覧ください。

神智学

ウキペディアでもスピリチュアルの源流は神智学、と記載されていますが僕自身のスピリチュアルに関する原点も神智学でした。

神智学に関しては、ブラヴァツキー夫人が記載した「シークレット ドクトリン」、アニー・ベサント、リードビーター、ルドルフシュタイナー、あたりが有名です。

神智学関連の様々な文献をまとめたものとして、たま出版の「神智学大要」という5冊に別れた分厚いものがあります。

自分は大学院1年の夏休みにこの本を全て読みました。

アストラル体、メンタル体、モナド、チャクラ。。。等、スピリチュアル関連の専門用語の連発です。

非常に読みずらかったため、用語や概念を自分なりにノートにまとめながら読みました。

進化や歴史的な話で印象に残ったテーマとして、

  • 宇宙誕生、
  • 科学で扱われる原子ができる過程、
  • 魂の起源、
  • 輪廻転生、
  • 進化の歴史(宇宙全体や太陽系の進化、植物、動物、人間の進化等)、
  • 古代文明(アトランティス、ムー、等)、
  • ピラミッド建設

心理学的な話で印象に残った話で、

  • 心霊主義やオカルト
  • 想念のメカニズム、
  • 恐れの克服、
  • 成功の原理、
  • エネルギーの原理、
  • 感情の支配、
  • 天才の状態、
  • 睡眠

・・・

があります。

目に見えない世界を壮大な体系でまとめてます。

恐らくこの本を全部詳細に読まれた方は少ないかと思いました。

時間的にゆとりのあった学生の時だったからこそ読めたと思います。

今までいろいろなスピリチュアル系の本を読みましたが、目に見えない世界についてこれだけ詳しく書かれた本は見当たらないです。

ただ、そこに書かれている情報が全て正しいかどうかは何とも言えないものがあります。

今でもこの本で役立つ情報は結構あるので読んでよかったなと思ってます。

スピリチュアルが日本に入る-精神世界(1970年代~2000年)。マニアックな層で秘かに広がる。

1970年代になってニューエイジ思想が日本にも入ってきました。

たま出版の雑誌「たま」、がこの頃発売され、精神世界、という言葉が広がったようです。

2000年以前の一般書店には精神世界系だけを集めたコーナーはなく、あったとしてもかなりマニアックな本が少し置かれている程度だったのを記憶してます。

2000年以前からスピリチュアル系に関わってきてましたが、当時、知り合ったばかりの女性に(あるパーティーで出会った方。スピリチュアルとは全く無関係の場です)、

「瞑想に興味持っているんですよ。」

と話したら、かなりひかれました。

「この人、大丈夫かしら?」

と思われたのでしょう。

今でこそ瞑想という言葉は一般に広がっていて怪しいとは思われないと思いますが、2000年以前は世の中ではまだまだそういう認識はありませんでした。

精神世界専門店「大予言」

2007年に閉店になりましたが、東京の中野駅の近くに中野ブロードウエイ、というところの4階に「大予言」、という店がありました。

精神世界系の本や自己啓発系の本、その他瞑想テープ、ニューエイジグッズ、セミナーテープ、古書等を扱っていました。

恐らく当時の日本では精神世界系の本や品物が一番揃っていたのではと思います。

僕自身もこのお店にはしょっちゅういき、読み終わった精神世界系や自己啓発系の本を買い取ってもらったり、本を買ったりとかなりお世話になりました。

そこの書店は夫婦が経営しており、ご主人は武道家でした。

ご夫婦ともいろいろな雑談をしたのがなつかしいです。

大予言が閉店した後は行くことはなくなりましたが、まんだらけの社長が大予言&記憶、という名前で大予言を復活させ、今現在は海馬、という名前で営業しているようです。

バシャール

「BASHAR 宇宙存在バシャールからのメッセージ」

という本が流行したのもこの頃です。

ダリル・アンカ氏という方がバシャール、という存在とチャネリングしたときのメッセージを書き記したものです。

(ダリル:アンカ(Darryl Anka、1951年 – )は、特殊効果デザイナー、チャネラーである。特殊効果デザイナーとしては、ハリウッドでヴィジュアル・エフェクトの仕事をしていた。手がけた主な作品は、「スター・トレック」「アイ、ロボット」「パイレーツ・オブ・カリビアン」「ダイ・ハード4.0」「アイアンマン」など。

引用:ダリル・アンカ – Wikipedia

僕自身はバシャールに対する関心は薄かったのですが、いわゆるチャネリング、というものが日本に広まったのはバシャールが大きなきっかけになったと思います。

2000年以前はチャネリングというと、バシャールが出てくるくらいマニアの間ではかなり有名でした。

今現在もチャネリングメッセージを流しているようです。

チャネリング

チャネリング、という言葉もバシャールが出てきた2000年以前に流行ってきました。

目に見えない意識体にコンタクトをとって、メッセージを個人個人又は社会全体に向けて伝える、というものです。

日本では霊媒としてのイタコがもっと昔からあり、チャネリングも通信する相手は違いますが目に見えない意識体との通信という意味では共通してます。

チャネリングはニューエイジ運動の中で使われるようになった名称です。

今でこそごく一般の方(スピリチュアル系で)でもチャネリングを行うことがありますが、2000年以前はチャネリングというのは日本ではまだまだオカルト的なものとしての扱い(UFOや宇宙生命体との通信等)が多かったように記憶してます。

この頃はいろいろな方がチャネリング、と称してメッセージを流していました。

怪しいものから意識の高いものまで様々です。

バシャールは高次元の存在のようで、僕自身本も読んでいますが、内容的には確かに精神性の高いメッセージが書かれています。

余談ですが、幸福の科学という新興宗教団体の教祖、大川隆法氏が1991年、チャネリング、という言葉で流行語大賞 特別賞 をもらったとのことです。

宜母愛子氏 心霊番組

1980年代~1990年代、宜保愛子氏がテレビ番組に数多く出演していました。

出演した方の守護霊からメッセージを受け取って伝えたり、心霊現象が現れるという所に出かけてテレビ中継をしたり、といったようなことを行っていました。

今とは違い、かなりオカルト的な雰囲気で放送されていました。

霊能力について疑問視され、有名な物理学者はインチキである、といって論理的に論破しようとしていました。

人柄の良さはとても感じられる方でした。

ただ番組が、心霊現象を取り上げて放送することが多かったせいか、オカルト的な面が強調されることが多かったです。

この当時、オカルト的な心霊現象を扱うテレビ番組が多かったせいか、精神世界はまだまだマニアックな層でのみ扱われていました。

1995年のオウム真理教事件をきっかけにオカルト的番組の批判が高まり、宜母愛子氏の出演もこの頃から一気に減ることになりました。

オウム真理教

1995年にオウム真理教による地下鉄サリン事件が置きました。大きなニュースになり、この当時のことはよく覚えています。

これによってますます精神世界系、スピリチュアル系(一般的には新興宗教もスピリチュアルもごっちゃにされているケースが多いのではと思います)のものは怪しい、という印象が世間に与えられました。

教祖の麻原彰晃は雑誌ムーに空中浮揚の写真をのせたり、衆議院議員選挙にも出馬していました。

美人信者が多かったこと、幹部は高学歴な信者が多かったこと、サリンを製造した信者の中に理系の高学歴な大学出身者もいたことも注目を浴びました。

スピリチュアル系や自己啓発系で洗脳されて人生を狂わされたというような事件がニュースになることが今現代でもあります。

海外ではオウム真理教よりももっと以前から様々な新興宗教での洗脳が事件になることがありましたが、日本で洗脳がクローズアップされたのがオーム真理教が大きなきっかけだったと思われます。

スピリチュアル:日本での大衆化 2000年初期から

スピリチュアル、という言葉が日本でも社会に認知され出したのは2005年に江原啓之氏と美輪明宏氏が出演したテレビ場組「オーラーの泉」、がきっかけのようです。

芸能人をゲストとしてスタジオに呼び、オーラや前世、守護霊のメッセージを江原氏がお伝えし、美輪氏のアドバイスも加わって、ときにはゲストは涙を流しながらかなり深いカウンセリングのようなことが行われていました。

宜母愛子氏も同じように守護霊のメッセージを伝えるということをしていましたが、その当時は心霊現象をクローズアップしていました。

オーラの泉では心霊現象のようなものはあまり扱わず、守護霊のメッセージを伝えることをメインとし、テレビを見ている視聴者も異和感なく見ることができるようなものだったと思います。

スピリチュアル、という言葉がオカルトチックなものではなく比較的ライトな安心感ある?言葉として日本に広まったのもこの番組の影響が大きかったと思います。

やはりテレビの影響は非常に大きいものです。

一般書店に精神世界コーナー、というものが設けられたのもこのあたりの時期だったように記憶してます。

2000年以前のスピリチュアル系の本はマニアックな印象の本が多かったですが、この頃はライトな感じの、一般の人でも違和感なく読めそうな本も数多く並び始めました。

癒し

スピリチュアル、という言葉とともに癒し、という言葉も広がりました。

1999年の流行語大賞で、癒し、という言葉が選ばれたようです。

「癒し」という言葉は、現在では一般名詞として使用されていますが、広く使用されるようになったのは、今年2009年からちょうど10年前の1999年からです。

1990年代のバブル崩壊以降、政局不安、大手金融機関の破綻、就職氷河期と不安感やストレスが膨らんでいく中、人々はこの不安感やストレスを解消したいという漠然とした欲求を常に抱えることとなります。

そして、1999年、「この曲をすべての疲れている人へ」というメッセージをうたい話題となった栄養剤のCMが登場。そのCMソングとして使われた坂本龍一氏の「energy flow」(「ウラBTTB」収録)も大ヒットし、「癒し」がその年の流行語トップ10に入賞しました。

こうして、不安感やストレスを抱える人々が漠然と求めていたものを指す言葉として「癒し」という言葉が市民権を獲得します。

引用 PRTIMES

自分自身、就職がバブル崩壊した後だったのですが、バブル崩壊前の就職のしやすさ、豪華な接待の話しをいろいろ聞いていたので、もう少しすれば戻るのかもしれない、という淡い思いを抱いていました。

バブルがはじけた後もバブルの印象がまだ残っており、しばらくすればまた復活するときがくる、と世の中的には期待されていたのではと思います。

1995年~2000年の間に倒産することはないだろうと思われていた銀行が相次いで破綻しました。その中には大手銀行もあり、さらには山一証券の倒産もあり、日本だけでなく世界でかなりのニュースになったのを記憶してます。

それだけではなく、ITバブルがはじけたあとのIT不況が2000年代初頭におき、様々な業界で倒産、再編が起きました。

バブル崩壊後、なかなか景気が回復しない状況が続き、先行きの暗さが日本に漂っていました。

そういう時代の背景も重なって癒し、が世の中で求められたのだと思います。

癒し、という言葉が世の中に広まったのも重なり、スピリチュアル、というのも日本で広まるのを加速したものと思われます。

現在でも、癒し系、という言葉も使われます。

一緒にいるだけでほっとする、心が癒される人、に対して女性、男性に限らず使います。

エンヤ

エンヤという方はアイルランドの歌手です。

癒しに満ち溢れたメロディで歌う方です。

有名なヒット曲では、

「オリノコ・フロウ」

「オンリー・タイム」

があります。

この曲を聞けばどこかで聞いたことのある曲だと思います。

テレビでもよく流れましたし、スピリチュアル系セミナーやイベントに行くと、エンヤ系の曲が流れていることが多かったです。

この曲が癒しの雰囲気にぴったりでもあり、個人的には癒し、という言葉はエンヤ、を連想するくらいでした。

スピリチュアル系イベント すぴこん

占い、ヒーリング、セラピー等、スピリチュアル系の様々な方が宣伝のために大きな会場にブースを設けて出展する、というイベントが2000年以前から始まりました。

2000年以前は今のようにweb上で集客することはあまりなく、主にスピリチュアル系雑誌(その頃はたま出版系の雑誌、アネモネ、がスピリチュアル系で有名でした。アネモネは今も発刊されてます。)に広告を出したり、口コミ、が多かったです。

僕自身もアネモネだけでなく、口コミ、そしてスピリチュアル系イベントに参加して様々なセミナーに参加するきっかけを作っていました。

そのうちにすぴこん、という名称の大規模なイベントとなり、全国各地で開催されるようになりました。すぴこんの第一回目は2002年11月に東京で開催されたものらしいです。

毎月、全国各地の様々な会場で開催され、さらにはスピリチュアルTVといったインターネットTVも放送されるようになりました。

オーラの泉をきっかけにスピリチュアルが世の中に認知されると同時に、スピリチュアル系ビジネスも世の中に一気に広まりました。

すぴこんは現在はヒーリングマーケットという名称になっているようです。

僕自身がよく出ていたのはまだすぴこんが始まる前で1990年後半あたりから参加していました。その当時は開催地は東京のみで、精神世界系出版社主催のこじんまりとした会場が主でした。

2002年以降開催されるようになったすぴこん、となってから会場は東京ビックサイト、その他全国各地でも大きな会場が使われるようになりました。

すぴこんが始まる前のスピリチュアル系イベントは、開催地が東京のみで会場もこじんまりとしたところだったのを知る者として、ここまで一気に広がったのには驚くものがあります。

すぴこんだけでなく、2002年以降は市民会館のような会場でもスピリチュアル系イベントが行われることが増えてきました。

このようなスピリチュアル系イベントでは10分~30分といった短い時間で1000円~3000円といった値段でセッションを受けることができました。

通常行われているセッション料金より安い価格で受けることができたので、おためしとしていろいろなセッションをイベント会場で受けていました。

そしてその中からよさそうだったヒーラーのセミナーに別日にあらためて参加する、ということをしていました。

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